洋菓子より安心な気がする和菓子、その選択に隠れていた本音

夕方のスーパーは、いつも少しだけ気まずい。
会社帰りの人の足音と、カゴの車輪の音と、惣菜コーナーの甘い匂いが混ざって、「今日を無事に終えた人」みたいな顔をしないといけない気がするから。
私は今日、うまくいかなかった。
大きな失敗じゃなくて、たぶん誰に話しても「それくらいあるよ」で終わる程度のやつ。
でも、そういうのがいちばんしつこい。胃に残る。
レジに並ぶ前、和菓子コーナーの前で足が止まった。
透明なパックに入った豆大福が、ひとつだけ、やけにきれいに座っていた。白いもち、薄い粉、少しだけ顔を出した豆のふくらみ。見た目が静かで、逆に誘惑が強い。
その隣には、小さなシュークリームのパック。チョコのエクレア。カスタードが見えるロールケーキ。
「洋菓子って、太りそうだよね」っていう、あの雑な共通認識。
それに比べて和菓子は、なんとなく“セーフ”っぽい顔をしている。
頭のどこかで、誰かの声がした。
「和菓子は健康的で、洋菓子より太らないよ」
たしかに、バターとか生クリームとか、入ってなさそう。
砂糖は多いって聞くけど、脂質は少ない、みたいな話も。
だから、今日みたいに心が荒れてる日でも、和菓子なら“許される”気がしてしまう。
でも、その「許される」って何なんだろう。
誰に?どこに?なにに?
私は豆大福の前で、カゴを持ったまま微動だにしなかった。
買うか買わないかじゃなくて、買う理由のほうで、胸がざわついていた。
「太らない」の中に隠れている、今日の言い訳
「健康的」って言葉は、便利すぎる。
今日の私は、その便利さにすがっていた。
本当は、甘いものが欲しいだけなのに。
ただの“甘いものが欲しい”じゃ、自分に許可が出せないから。
「和菓子なら健康的」って看板を借りる。
すると急に、“自分を労わってる”っぽい感じがする。
甘やかしてるのに、ちゃんとしてるフリができる。
今日うまくいかなかったのは、仕事の小さなやり取りだった。
相手の言葉を悪く受け取りすぎた気がして、そのあと自分の返した言葉がずっと気になっている。
返信が早すぎた。文が硬すぎた。絵文字を入れるべきだった?
いや、そもそも私は、あの言い方に傷ついていた。たぶん。
でも、傷ついたって言うと大げさになる気がして、何も言わずに飲み込んだ。
飲み込んだものは、別の形で出てくる。
私はよく、甘いものとして出る。
「洋菓子は太りそう」
「和菓子は太らなそう」
この単純な図式は、ダイエットの話というより、“罪悪感の置き場所”の話かもしれない。
脂質が少ないとか、カロリーがどうとか、そういう理屈もたぶんある。
餡は砂糖が多い、でも生クリームより…みたいな比較も。
食物繊維が、とか、血糖値が、とか、言い出したらきりがない。
けど今日の私は、正しい情報が欲しいんじゃなくて、今日の自分を納得させる言葉が欲しいだけだった。
豆大福を見ながら、私は「これなら太らない」って言ってみた。心の中で。
その瞬間、なぜか少しだけ泣きそうになった。
太る太らないの話をしているのに、泣きそうになるのは変だ。
でも、たぶん、今日ずっと堪えていたのは“体重”じゃなくて、“感情”のほうだった。
「太らない」って言葉は、体の話のようで、実は心の話を隠す。
今日の私は、うまくいかなかった自分を太らせたくない。
“ダメだった”っていう感覚を、体にまで連れていきたくない。
だから、太りにくいものを選べば、今日の失敗も、軽くなる気がした。
そんなの、都合が良すぎるのに。
豆大福を手に取った。
パックの底が少し冷たくて、現実に引き戻される。
裏面の栄養表示を見た。数字が並んでいる。
たしかに脂質は少ない。だけど糖質はしっかりある。
当たり前だ。餡だもの。砂糖だもの。
それでも、「ほら、脂質少ないじゃん」と思う自分がいた。
私は数字を見て安心したかった。
安心して、“買う”という行為に、ちゃんとした理由を与えたかった。
でも、その理由って、誰に提出するつもりなんだろう。
私の家には、私しかいないのに。
ひと口目の静けさと、残る違和感
帰宅して、コートを脱ぐ前に豆大福を冷蔵庫に入れた。
すぐ食べない。そういうところが自分でも面倒くさい。
“ちゃんとしてる”を演出したい癖がある。
本当は今すぐ食べたいのに、いったん儀式を挟む。
自分を落ち着かせるための遠回り。
お風呂の湯を張って、洗面所で髪をまとめる。
鏡の中の私は、ちゃんとした顔をしていない。
目の下に疲れがある。眉が微妙に乱れている。
今日うまくいかなかったことが、顔に薄く貼り付いているみたいだった。
結局、湯船に浸かりながら、豆大福のことを考えていた。
「和菓子は健康的で、洋菓子より太らない」
これが本当なら、私は今夜、少しだけ救われる。
逆に嘘なら、私は“今日の自分への優しさ”だと思っていたものが、ただの言い訳になる。
でも、もし真実がどっちだったとしても、たぶん私は食べる。
それが、もっと嫌だった。
私は正しい答えを欲しがってるくせに、答えが出ても、行動は変わらない気がした。
風呂上がり、テーブルの上に豆大福を置いた。
スマホは見ない。今日は見たくない。
代わりに、湯気の残る部屋で、パックを開ける音を聞いた。
紙とプラスチックが擦れる、生活の音。
ひと口目は静かだった。
甘さが、思ったより鋭くない。
餡のねっとりした感じが、今日の焦りをゆっくりほどく。
豆の塩気が、少しだけ現実に戻してくれる。
「うまい」と思う前に、「落ち着く」と思ってしまった。
和菓子って、味の派手さが少ないぶん、心の音がよく聞こえる気がする。
洋菓子は、味で気分を上げてくれる。
でも和菓子は、気分を上げるというより、気分を“静める”。
勝手な印象だけど、今日の私にはそれが効いた。
ただ、食べ終わったあと、違和感が残った。
満たされたのに、どこか落ち着かない。
「太らない」かどうかの不安じゃなくて、別の不安。
私はたぶん、“太らない甘いもの”が欲しかったんじゃない。
「今日うまくいかなかった私」を、太らせずに抱きしめたいだけだった。
つまり、傷ついたままでもいいって言ってほしかった。
誰かにじゃなくて、自分に。
豆大福は一個で終わった。
でも、心の中のざわつきは、まだ居座っていた。
洋菓子を買わなかったのに、なぜか“我慢した感”も残っている。
私の脳内には、ずっと審査員がいる。
「それは良い選択」「それは悪い選択」
自分の生活なのに、点数をつけてくる。
「健康的」「太らない」
その言葉たちは、審査員の口調に似ている。
もし和菓子が本当に太りにくいとして、
それは私の罪悪感を軽くしてくれるだろうか。
軽くなるのは体重だけで、心はずっと重いままかもしれない。
今日みたいな日に欲しいのは、
「和菓子は健康的だよ」じゃなくて、
「今日うまくいかなかったね」って、ただ言ってくれる何かだった気がする。
それが食べ物でも、言葉でも、湯船でも、誰かの肩でも。
和菓子が健康的かどうかより、
私は“健康的な言い訳”が欲しかっただけかもしれない。
そう思った瞬間、また少しだけ、胸の奥がチクッとした。
…でも、豆大福はおいしかった。
その事実も、ちゃんと残っている。
だから余計に、答えを出し切れない。
「和菓子は太らない」って信じたくなる夜がある。
その夜の私は、ただ、自分を責めたくないだけだった。
そしてたぶん、明日もまた、何かしらを選ぶ。
和菓子か、洋菓子かじゃなくて、
“今日の自分への扱い方”を。
答えは出ないまま、テーブルの上の空袋だけが、やけに軽かった。
