たっぷりの水分補給でハリツヤ爆誕!(※肌の話はしない、私の生活の話をする)

朝、カーテンの隙間から入ってきた光が、やけに白くて、冬のくせに空気だけが少しだけ春に寄りかかっているみたいな日だった。起きてすぐ、いつもの癖でコーヒーを淹れようとして、でも電気ケトルのボタンを押す指が途中で止まった。
昨夜、寝る前にスマホを見ながら「明日こそ、水をちゃんと飲もう」と、ふわっと決意したのを思い出したから。…こういう決意って、だいたいコーヒーの湯気に負けるのに、今日はなぜか、負けたくなかった。
仕事も将来も人間関係も、自分磨きも、全部が同じ机の上に並んでいるみたいな毎日で、どれか一個だけを丁寧に扱う余裕なんて正直ない。だから私は、生活を変えるっていう大げさなことじゃなくて、「今日の自分を少しラクにする操作」を探してる。
水を飲むことは、その操作のひとつ、のはずなのに。なのに私は、水分補給がずっと苦手だった。嫌いじゃない、むしろ好きなのに、下手。たぶんそこに、誰にも言ってない理由がある。
今日の小さな出来事は、ほんとうに小さくて、でも私の中では妙に引っかかった。午前中のオンライン会議の最中、喉がカラッとして、声が一段ガサついた瞬間があった。たったそれだけ。
でもそのとき、頭の中で浮かんだ本音が、ちょっと嫌な意味でリアルだった。
「水、飲みたい。でも今飲むと、またトイレ行きたくなる。会議中に席を立つの、なんか気まずい」
……はい、出ました。私の中の“気まずさ警察”。自分の生活を自分で縛っておいて、疲れてるって顔だけしてるタイプの女です。
水分補給で「ハリツヤ爆誕!」って、言葉だけ見ると、なんだか美意識高い人の朝みたいだけど、私の場合はもっと切実で、もっと生活くさい。
水を飲むと、体が“ちゃんと動く”感じがする。頭の回転が少しだけ滑らかになって、午後の集中力がギリギリ落ちきらずに踏ん張れる。声が出る。目の奥の乾いた感じが、ほんの少しゆるむ。そういう地味な「調子の底上げ」が起きる。
そしてそれが起きると、生活がちょっとだけ、整って見える。別に整ってないのに、見えるだけでもうれしい。人ってそういうところ、あるよね。
ただ問題は、私はその“調子の底上げ”を、わざわざ自分から遠ざけていたこと。理由は、たぶん「トイレが近い自分が嫌」だった。
ここが今日の主軸。美容でも、ダイエットでも、自己肯定でもなく、“トイレの気まずさ”。
こんなテーマ、ブログに書く人いる?って自分でも思うけど、たぶん私みたいに、同世代で、仕事と生活の間にいる人は、一回くらい心当たりあると思う。あの、「水飲みたいのに我慢する」っていう、地味に悲しい行動。
1)「水を飲む=席を立つかもしれない」という、私の勝手な緊張
会議が始まる前、私は机の上を整えるふりをしながら、ペットボトルのキャップを一度触って、結局開けなかった。
“会議中に飲む音がするかも”とか、“飲んだら途中でトイレ行きたくなって画面オフにすることになるかも”とか、そんな理由で。
冷静に考えたら、誰もそこまで気にしてない。みんな各々の生活音を抱えて働いてるし、咳だってくしゃみだって、宅配便のピンポンだって鳴る。
それでも私は、**「迷惑をかけない人」**でいたくて、結果的に自分の体を後回しにしてしまう。
これ、仕事だけじゃなくて、人間関係でもやってるやつ。言いたいことを飲み込んで、後から一人で勝手に疲れるやつ。水まで飲み込むな。
会議の途中、喉が乾いて声がかすれた瞬間に、私はちょっとだけ焦った。焦ったけど、その焦りの矛先が自分の体じゃなくて、また“気まずさ”の方に向いた。
「今飲むと、また…」って。
その瞬間、心の中で小さく舌打ちした。自分に対して。
“またって何。トイレ行くのが悪いことみたいに扱うなよ”って。
2)水分補給が「上手い人」って、生活の自分への優先順位が高い

昼休み、コンビニに行って、いつもならコーヒーを買うところで、今日は水を買った。しかも500じゃなくて、ちょっと大きい方。
こういう“ちょっと大きい方”を選ぶとき、私はたまに自分が強くなった気がする。錯覚でもいい。弱いよりマシ。
で、買ったはいいけど、午後の仕事が始まったら結局また飲まないんだろうな、という未来も見えていて、その未来に対して軽く絶望した。
私は今まで何度も、「水を飲もう」と思って、「飲まなかった」をやってきた人間だから。
三日坊主どころか、三時間坊主の才能がある。
でも今日は、ちょっとだけ行動を変えた。
机の端に置くんじゃなくて、キーボードの横に置いた。邪魔なくらい近くに。
“気が散るから机はスッキリ派”みたいな顔をしてきた私だけど、気が散る以前に私の体が干からびてるんだから、優先順位を間違えてる。
水分補給って、気合じゃなくて配置だと思う。
飲める人は、たぶん自分の生活の設計がうまい。やる気に頼らずに、できる仕組みを置いてる。
私みたいに「やる気が出たらやろう」って言ってる人は、やらない。だって“やる気”はいつも、昼過ぎにどっか行くから。
そして水を飲むと、意外とすぐ体が反応する。
重たいものが軽くなる、みたいな劇的な話じゃないけど、思考が少しだけ切れやすくなる。メールの文章が、やたら刺々しくならない。返事を急がずにいられる。
そういう小さな変化が、「今日は私、荒れてないかも」っていう安心につながったりする。
……ここで一回、読者に言いたい。
「わかる…水飲むだけで人生変わるって言われても、そんな簡単に変わらないよね」
変わらない。変わらないけど、変わらないままでも、ちょっとだけ“マシ”になる瞬間はある。私はその“マシ”が好き。
3)「トイレの気まずさ」をやめると、人生がほんの少しだけ広がる
午後、ついにその瞬間が来た。
水をちょこちょこ飲んでいたら、当然、トイレに行きたくなった。
そして私は、一瞬だけ迷った。
“今行く? でもさっきも行った気がする。周り(というかオンラインの向こう)にどう思われる?”って。
そのとき、今日いちばんの本音が出てきた。誰にも言わなかったやつ。
「私、トイレに行く回数まで“ちゃんとしてる人”でいたいんだ」
……バカみたい、って思った。
ちゃんとしてる人って、トイレに行かない人なの?むしろ健康的に水飲んで行く方が、ちゃんとしてない?
でも理屈じゃない。私は“見えない評価”にずっと怯えてる。評価されたいというより、変に思われたくない。
その小さな怯えが、生活のあちこちに根っこみたいに絡まってる。
結局私は、席を立った。
トイレに行って、鏡の前で手を洗いながら、ちょっとだけ自分を笑った。
「水飲んでトイレ行ってるだけで、何をそんなに緊張してるんだろ」って。
でも同時に、少しだけ誇らしかった。
“気まずさ”に負けずに、自分の体を優先したから。
席に戻って、また水を一口飲んだ。
そのとき、なんか、生活が「自分のもの」に戻ってきた感じがした。仕事も、人間関係も、将来の不安も、相変わらず机の上にあるけど、少なくとも私は、私の体を置き去りにしなかった。
それだけで、今日は十分、って思えた。
水分補給って、キラキラした美容ルーティンじゃなくて、私みたいな凡人の生活を支える、すごく地味で、でも確実な手すりみたいなものなのかもしれない。
たっぷり飲むっていうより、「こまめに戻す」。乾いたら戻す。忙しくて忘れたら戻す。
そして、トイレに行きたくなったら行く。
それを“気まずいこと”にしない。
たぶん今日の私に必要だったのは、1日2リットルみたいな数字じゃなくて、自分の体を後回しにしない許可だった。
夜、結局コーヒーも飲んだ。飲んだし、甘いものも食べた。部屋は片付いてないし、洗濯物は畳まれてない。完璧とは程遠い。
でも、机の上のボトルがちゃんと空になってるのを見て、少しだけ嬉しかった。
「私、今日はちゃんと生きた」って言うには大げさだけど、
「私、今日は自分を雑に扱わなかった」くらいなら言っていい気がした。
あなたは今日、喉が渇いたとき、ちゃんと水を飲めた?
それとも私みたいに、何かの“気まずさ”で、こっそり自分を後回しにしてた?






