いちばん怖いのは「予定が崩れること」じゃなくて、崩れた自分を責めることだった

朝、カーテンを開けた瞬間に、空がいつもより白くて、音まで丸くなっているのがわかりました。窓の外は雪というより、空気そのものが降ってきたみたいな細かい白で、遠くの建物の輪郭がふわっと消えて、ベランダの手すりも薄い粉砂糖をかけたみたいにうっすら光っていました。
スマホを見たら「今季最強寒波」「記録的な大雪」「交通障害に警戒」みたいな言葉が並んでいて、ニュースでは高速道路の予防的通行止めや欠航の話が当たり前みたいに流れていました。
実際に北陸や山陰で顕著な大雪の情報が出て、不要不急の外出を控えてって呼びかけられているらしいし、道路や鉄道、飛行機も影響が出ているみたいです。こういう日は、外の世界が「今日は通常運転じゃないよ」って先に言ってくれているのに、私はなぜか、自分だけは通常運転を守らなきゃって焦るんですよね。
今日いちばんアクセスが集まりそうな話題って、きっとこの寒波と雪のことだと思うんだけど、私は天気の解説をしたいというより、「こういう日に、自分の予定がちょっと崩れたときの心の反応」って、意外と書いてこなかったなと思って、今日はそこを切り取りたいです。予定が崩れると、なぜか自分の価値まで崩れた気がして、ちゃんとしていない自分に小さく赤点をつけたくなる、あの感じ。
1. 「行けない」って言うだけなのに、心が勝手に謝り続ける
今日の小さな出来事は、すごく地味です。午前中、会社の同僚から「午後、軽く打ち合わせできる?」って連絡がきて、私は反射的に「できます!」って返しそうになりました。いつもならそうします。
頼られたら嬉しいし、断るのが下手だし、予定を入れた方が“ちゃんとしてる”感じがするから。でも窓の外を見たら、さっきより雪が強くて、風が吹くたびに白い粒が横に流れて、駅までの道がなんとなく想像できてしまったんです。足元が滑る感じ、電車が遅れる感じ、ホームで寒さに耐える感じ。
しかもニュースで「交通が止まる可能性がある」って言ってる日に、わざわざ出かけるのって、合理的じゃない。頭ではわかるのに、指が「できます!」を打とうとして止まる。
結局、「今日は雪が強いので、オンラインでお願いできますか?」って送ったんです。たったそれだけ。ものすごく普通の提案。なのに、送信ボタンを押したあと、胸の奥がじわっと冷えて、「迷惑だったかな」「私、甘えてるかな」「みんな頑張って出社してるのに」って、誰にも言わない本音がぽこぽこ浮かんできました。
正直に言うと、雪が怖いというより、“断る私”が嫌われそうで怖かった。気象庁の呼びかけより、他人の目の方が怖いって、私のメンタル、どんだけ対人向けに調整されてるんだろうって笑えてくる。
しかも、この「罪悪感」って、相手が怒るかどうかとは関係なく、私の中だけで勝手に増殖するんですよね。相手はたぶん「了解!」で終わるのに、私だけ「すみません」「ごめんなさい」「申し訳ないです」を脳内で何回も繰り返して、勝手に頭を下げている。わかる…こういうとき、相手より先に自分が自分を責めにいくクセ、ありますよね。
送ったあと、私は一度スマホを伏せて、キッチンの小さいテーブルに両手を置きました。息を吐いたら、湯気でも出そうなくらい自分の体がこわばっていて、「たった一通のメッセージで、私はこんなに疲れるの?」って自分にツッコミたくなりました。
昔から、誰かに何かをお願いしたり、予定を変えたりするとき、私は“許可をもらう”みたいな姿勢になりがちで、たぶんそれは、子どものころから染みついた「いい子でいなきゃ」の延長なんだと思います。いい子は、迷惑をかけない。いい子は、わがままを言わない。いい子は、状況が悪くても笑ってやりきる。
……でも、いい子って、どこまでいっても“誰かの基準”でしかないんですよね。
雪の日って、街全体が静かで、音が吸い込まれて、いつもより孤独が大きくなる気がします。外に出たら、みんな同じ寒さを感じているはずなのに、部屋にいると、私だけ取り残されているような気持ちになる。だから余計に、予定を入れて“社会とつながってる感”を確認したくなるのかもしれません。
予定がある=私はちゃんと人間関係を持てている、みたいな。そんな確認方法、ちょっと危ういのに、癖ってしぶとい。
(ここだけ、ほんとに誰にも言ってない本音)私は今日、雪を言い訳にして、少しだけ楽をしたかったんだと思います。打ち合わせをオンラインにしたのは合理的だけど、その裏に「移動しなくて済むラッキー」があった。なのに、ラッキーって思った自分を、私はすぐに否定したくなる。頑張っている人の前で、楽をしたいなんて思っちゃいけない、みたいに。わかる…“ラクしたい”って感情を持つだけで、なぜか自分に罰を与えたくなる瞬間、ありますよね。
2. コンビニのレジ前で、雪より冷たかったもの

打ち合わせはオンラインになって、家でできることになったのに、気持ちはなぜか落ち着かなくて、昼前にコンビニへ行きました。雪の日って、必要以上に何かを買いたくなる。
カイロとか、チョコとか、あったかいスープとか、未来の私を守るための小さい武器を集めたくなる。だけど、家を出た瞬間に、思ったより足元がぐちゃぐちゃで、雪がシャーベットみたいに靴にまとわりついて、たった数分で「やっぱり今日は外に出る日じゃないな」って体が理解しました。
コンビニのレジ前で、前に並んでいた人が「道路、通行止め増えてるらしいよ」って店員さんと話していて、私は会話に入るわけでもないのに、背中がきゅっと硬くなりました。
今日の世界は、誰もが“予定を守れないかもしれない”前提で動いているのに、私だけがまだ“予定を守れない自分はダメ”って前提で動いている。そのズレが、雪より冷たかった。
帰り道、滑らないように小股で歩きながら、私は自分の中の変なスイッチを見つけました。「外出を控えるべき」って情報は理解できるのに、「控える自分を許す」って工程が抜け落ちている。
だから外出を控えることが、正しい行動なのに、なぜか“怠け”に変換されちゃう。これ、仕事でも、人間関係でも、ずっとそうだった気がします。体調が微妙でも休めない、気が乗らない飲み会でも断れない、忙しいと言いながら無理して予定を詰める。ちゃんと生きてる証明を、予定の数で取ろうとしてしまう。
コンビニで買ったのは、肉まんと、少し高いカップスープと、いつもは買わないミニチョコでした。レジ袋の中が温かいと、それだけで心がちょっとほどける。家に戻って靴を脱いだ瞬間、靴下の先が濡れていて、足の指がじんと冷たくて、「あー、こういうのが地味に心を削るんだよね」って思いました。
大きな不幸じゃないけど、こういう小さい不快が積み重なると、なぜか自分の機嫌を取るのが下手になる。だから私は、スープを飲む前に、洗面所で手を温めました。お湯を出して、手のひらが赤くなるまで当てて、やっと自分の体が自分のものに戻ってくる感じがしました。
3. 予定を守るより、「戻ってこれる余白」を守りたい
午後のオンライン打ち合わせは、拍子抜けするくらい普通に終わりました。同僚も「雪やばいよね、オンラインで助かった〜」って軽く笑って、私が勝手に抱えていた罪悪感は、雪解け水みたいにどこかへ流れていきました。
ここで私が気づいたのは、罪悪感って“相手の感情”じゃなくて、“自分の癖”だということ。相手の反応を見る前から、私の中で決着がついてしまっている。だから、相手が優しくても、私の癖が強いと苦しいまま。
今日の小さな変化は、「断る」じゃなくて「提案する」って言い方を選んだ自分を、ちょっとだけ認められたことです。行けません、無理です、じゃなくて、オンラインならできます、という形にしたのは、相手のためでもあるけど、自分のためでもあった。
私は“ゼロか百か”でしか選べないと思い込んでいたけど、実はその間のグレーに、いちばん生活がある。雪の日に無理して出て転ぶより、今日の仕事がちゃんと回る選択をする方が、結果的にみんなに優しい。わかってるのにできないことを、今日はひとつだけできた。
そしてもうひとつ、違和感として残ったのは、私が「迷惑をかけない」ことを美徳にしすぎていること。迷惑をかけないって、たしかに大事だけど、それが行き過ぎると、誰にも助けてもらえない人になる。雪の日に「オンラインでお願いします」と言えない人は、もっとしんどい日に「今日は休ませて」と言えない人になる。そうやって自分を追い詰めて、ある日ぷつんと切れるの、なんとなく想像できてしまって、ちょっと怖かった。
午後、窓の外を見たら、向かいのマンションの人が黙々と雪かきをしていて、私はカーテン越しに小さく頭を下げました。会ったこともないのに、こういうときだけ「ありがとうございます」って気持ちになるの、勝手だけど本当です。社会って、目に見えないところで誰かが頑張って回していて、その頑張りを知ると、私はすぐに“自分も頑張らなきゃ”に引っ張られる。
でも、社会が回るために私が転ぶ必要はないし、私が無理をしたところで雪は止まない。ここでようやく、「頑張る」って言葉の矛先を変えたくなりました。頑張って予定を守る、じゃなくて、頑張って安全を選ぶ。
頑張って人に合わせる、じゃなくて、頑張って自分の体と心を守る。頑張る方向って、ほんとは自分で選べるはずなのに、私はいつも“外向き”に固定してしまう。
ニュースでは、強い寒波で交通機関に影響が出ているって言っていて、予防的な通行止めや欠航も起きているそうです。社会が安全側に寄せて動く日って、私たち個人も、安全側に寄せていいはずなのに、なぜか“頑張る側”に寄せたくなるのが不思議です。
今日の最後に、私は母に「雪すごいね」ってだけLINEをしました。用事があるわけでもないのに、なんとなく誰かに「今、ここにいる」って伝えたかった。
母からは「転ばないようにね。無理しないでね」って返ってきて、その“無理しないで”の一言が、同僚に送った「オンラインでお願いします」よりずっと効きました。私はたぶん、誰かに無理しないでって言われると、やっと自分に許可が出るタイプです。だったら、自分で自分に言えるようになりたいのに、まだ練習中。
雪は明日には落ち着くかもしれないし、また普通に電車が走って、私もいつもの顔で外に出るんだと思います。でも、今日みたいな日を経ると、普通って、けっこう薄い氷の上にあるんだなって感じます。
予定が崩れる日があるのは当たり前で、崩れたときに自分を責めるか、抱きしめるかで、その日の疲れ方が全然違う。私はまだ抱きしめるのが下手で、つい赤点をつけちゃうけど、赤点をつけたあとに消しゴムを出せるようになっただけでも、今日はちょっと進歩だったのかもしれません。
締めに、いつもの「前向き」みたいなことは言えないんだけど、今日の私はひとつだけ思いました。予定を守ることより、予定が崩れたあとにちゃんと戻ってこれる余白を守る方が、長い目で見たらずっと大事なんじゃないかなって。あなたは、天気みたいにどうにもならないことで予定が崩れたとき、自分にどんな言葉をかけていますか。





