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「昨日と同じはずなのに違う顔」たまたま可愛い日に振り回される私たちの小さな違和感

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朝の光を浴びる女性

朝の光って、やさしいというより、たまに意地が悪い。カーテンのすき間から入ってきた白っぽい光が、ベッドの端と、脱ぎっぱなしの部屋着と、昨夜ちゃんとたたまなかった洗濯物の山を、ぜんぶ平等に照らしていた。春の朝独特の、少し乾いた空気。窓を少しだけ開けたら、外からゴミ収集車のバックする音が聞こえてきて、ああ平日だ、と思う。キッチンには、昨日コンビニで買ったカフェラテの空きカップがそのまま置いてあって、シンクの端には一人分の皿。生活感って、片づいていないときに限ってくっきり見える。

顔を洗って、いつものように鏡の前に立った。寝ぐせを直して、化粧水をつけて、下地をのばして、眉毛を描いて、ビューラーをして。やっていることは昨日と同じはずなのに、その日の顔って、びっくりするくらい機嫌が違う。肌の明るさも、頬の余白も、目の開き方も、なぜか毎日べつの人みたいだ。今日は、その「なぜか」が妙にいいほうに転んだ日だった。

目次

今日の私は、努力の成果じゃなくて天気みたいなものだった

ファンデーションを薄くのせただけで、なんとなく肌が整って見えた。いつもなら気になる小鼻の赤みも、今日はそこまで目立たない。前髪も変に割れず、マスカラも一発でそこそこきれいに乗った。鏡の中の自分を見て、「あれ、今日ちょっと盛れてるかも」と思った瞬間、うれしいより先に、少しだけ悔しかった。

なんでだろう、別にいいことのはずなのに、素直に喜べない。せっかく機嫌よく出かけられそうな朝なのに、鏡の前で私は一回、口をへの字にした。だって、昨日もおとといも、同じくらいちゃんとやっていたからだ。ちゃんとクレンジングして、ちゃんと保湿して、夜更かしを少し反省して、甘いものも少し控えようと思って、思っただけで終わった日もあるけれど、それでも一応は自分なりにやっている。その積み重ねがきれいに出た感じでは、あまりなかった。ただ、睡眠の質とか、むくみの引き具合とか、生理前じゃないとか、そういう自分では完全に管理しきれない条件が、たまたまうまく重なっただけの顔だった。

洗面台の前で、前髪を指でつまんで少しずつ幅を整えながら、「結局、偶然か」と小さく思った。誰にも言わなかった本音はそこだった。うれしいのに、偶然に負けた気がする。努力して報われたいのに、報われる日は努力よりコンディションの機嫌がいい。そういうことが、妙に悔しい。

会社へ向かう電車の窓に映る自分も、たしかに今日は悪くなかった。乗り換えの駅でガラス扉に映った横顔まで、なんとなくましに見える。こういう日は、意味もなくスマホのインカメを開いてしまう。写真を撮るわけでもないのに、黒い画面に自分を映して確認して、少し角度を変えて、また閉じる。その小さな行動が、なんだか自意識過剰で恥ずかしいのに、やめられない。盛れている日って、世界が少しだけ自分にやさしく見える。いや、世界は何も変わっていないのに、自分の受け取り方だけが変わっているのかもしれない。

たまたま整った顔の日ほど、心まで強くなったふりをする

午前中、給湯室で先輩に「今日なんか雰囲気違うね」と言われた。たぶん深い意味はなくて、髪型か、たまたま顔色がよかっただけだと思う。私は「あ、ほんとですか」と笑って返したけれど、胸の内側ではちょっとだけ複雑だった。そうなんだ、やっぱり外側って、思っているより人に伝わるんだ、と思ったし、その一方で、じゃあ昨日の私は何を伝えていたんだろう、みたいなことまで考えてしまった。

別に大したことじゃないのに、こういうのって地味に引っかかる。今日は話しかけやすそうに見える顔で、昨日はたぶん少し疲れて見えた顔だった。それだけのことなのに、人との距離までコンディションに左右される気がして、少し怖い。自分の中身は昨日からそんなに変わっていないのに、外側のちょっとした整い具合で、「感じがいい日」と「なんか近寄りづらい日」が生まれてしまう。そう思うと、毎日同じ自分でいることって、案外むずかしい。

お昼休みにトイレの鏡で自分を見たら、朝のあのきれいな感じがまだ少し残っていた。そこでまた、悔しい、と思った。せっかく調子がいいなら喜べばいいのに、私はわりとしつこい。だって、こういう日に限って、自分に少し自信が出てしまうからだ。返信をためらっていたLINEを返せたり、コンビニで店員さんに自然な声で「温めお願いします」と言えたり、会議で一回だけちゃんと目を見て話せたりする。そんなの、ほんの小さなことなのに、顔の調子ひとつでできたりできなかったりするのが、なんだか情けない。

でもたぶん、わかる……こういう日あるよね、と言いたくなる人は少なくないと思う。お気に入りの服がたまたま似合った日、前髪が落ち着いている日、肌が荒れていない日、それだけで少しだけちゃんと生きられる気がする日。逆に、同じ自分のはずなのに、なんだか全部だめに見える朝もある。たかが見た目、されど見た目、なんて言葉で片づけるには、毎日の気分はもう少し切実だ。

努力しているはずの私が、偶然に振り回される違和感

夕方、デスクのパソコン画面に映りこんだ自分の顔は、朝より少しだけ疲れていて、でもまだぎりぎり見られる感じだった。その「まだ大丈夫」に安心している自分に気づいて、私は少し笑ってしまった。なんというか、自分への評価が安定していない。もっと中身で立っていたいのに、外側のちょっとした凪や荒れに、思った以上に足元を持っていかれる。

今日の小さな発見はたぶんそこだった。私は「努力が実ること」そのものより、「努力した分だけ、ちゃんと自分を好きでいさせてほしい」と思っていたのかもしれない。肌が荒れないことも、顔がすっきり見えることも、もちろんうれしい。でも本当に欲しかったのは、調子のいい日だけ自信が持てることじゃなくて、調子の悪い日にもそこそこ機嫌よくいられる安定だったのかもしれない。偶然きれいに見える日があるたびに悔しいのは、その偶然が悪いんじゃなくて、自分の安心材料を全部そこに預けてしまっている感じがするからだ。

帰り道、駅のホームで電車を待ちながら、スマホの黒い画面にもう一度だけ自分を映した。朝より少しだけ目の下がくすんでいて、前髪も完璧ではなかった。でも、まあ今日は十分だった気もする。十分、という言い方は、満点じゃないかわりに少しだけやさしい。最近の私は、何かにつけて「ちゃんとできた」「全然だめだった」の二択で自分を見すぎていたのかもしれない。盛れてる、盛れてない、うまくいってる、いってない。そうやって切り分けるたびに、気持ちまで細かく削れていく。

部屋に帰って、ピアスを外して、髪をひとつに結び直して、鏡を見たら、朝のあの“ちょっと盛れてる私”はもうだいぶいなくなっていた。いつもの顔だった。安心するような、少しがっかりするような、なんとも言えない顔。だけど、その顔を見ながら、今日の私は少しだけ変だった、と思う。きれいに見えたことより、それにこんなに心を持っていかれたことのほうが、たぶん印象に残っている。

努力って、たぶん即効性がない。しかも見た目のことになると、努力だけでは回収できない日が普通にある。睡眠、塩分、水分、ホルモン、天気、光、気分。いろんなものが勝手に混ざって、その日の顔を決めてしまう。そんな当たり前のことに、今日あらためてむっとした。でも、むっとしたということは、きっと私は、自分を雑に扱いたくないんだと思う。偶然きれいだった日だけを好きになるんじゃなくて、冴えない日の自分にも、もう少しだけ居場所をつくりたいのだと思う。

明日の朝、また鏡の前で、あれ、なんか微妙、と思うかもしれない。むくんだ顔でため息をつくかもしれないし、前髪が言うことを聞かなくて小さく舌打ちしたくなるかもしれない。それでも、今日みたいにたまたま機嫌のいい顔の日があったことを、ただラッキーで終わらせないでいたい。私はたぶん、「盛れてる日」そのものより、その一日に振り回される自分のほうを、もう少しちゃんと見ていたいんだと思う。

そういうのって、あなたにもありますか。努力したはずなのに、手応えじゃなくて偶然のほうが結果を持っていく日。うれしいのに、少し悔しいあの感じ。誰にも言わないけれど、鏡の前でひとりだけ、納得いかない顔をしてしまう朝。

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